今、当たり前のように使っている「物」、それらはポンと世に出たものではなく、誰かが考え思考錯誤して、上が許可をだし店頭に出回っているのです。
当たり前すぎてあまり深く考えず、たまに凄い便利な物に出会えると「考えた人凄い」と思うこともきっとあるでしょう。
けれど、その凄いものも当たり前になってしまうと深く考えないものです。
なぜなら当たり前のことだからです。
けれど、その当たり前が当たり前ではない時代に、当たり前になるよう努力した人たちがいるのです。
たとえば車、運転する人もそうでない人も、車という乗り物にはとても助けられ便利と考えますよね。
それは今の形にしようと努力と研究が積み重ねられた結果なのです。
車といえばどのメーカーが上がるでしょうか。
そのひとつ、トヨタ自動車の創設者の息子である豊田喜一郎さんの名言をまとめてみました。
豊田喜一郎とは?
豊田喜一郎さんは1894年生まれ1952年57歳没。
父親は豊田自動織機の創設者です。
豊田自動織機は現在のトヨタグループの本家にあたり、トヨタ自動車はこの豊田自動織機から分社したものになります。
東京帝国大学工学部機械工学科を卒業した豊田喜一郎は経営者になるための勉強を父に求められ東京帝国大学法学部で学びます。
豊田紡織に入社したのち、1926年に豊田自動織機製作所を設立して常務取締役になります。
欧米に出張したさい、自動車産業が大きく変わると感じ自動車制作部門を新設します。
しかし戦争という悲劇に翻弄、空襲で家を失うなどし、終戦後はドウジョウ養殖やウズラ飼育などで食料を確保していきます。
1949年、トヨタ自動車の債務が増えてしまい、責任をとって社長を辞任します。
のち1952年、再び社長に再就任するという話が出ましたが、その歳に亡くなってしまいます。
2001年、死後49年を得て豊田市の名誉市民となります。
豊田喜一郎の名言①」
「作ってやる、売ってやるではいけない。買ってもらう、作らしてもらっている、という気持ちでなくてはいけない」
なにごとも謙虚な気持ちが大切ということでしょう。
しかし、売る側が消費者に買ってもらっているという気持ちは大事かもしれませんが、消費者が買ってやっているという気持ちになるのは決してよくないと思います。
売り手も買い手も謙虚、買い手だってそれがなければ困るから買うのです。
別の会社のがある、たしかにそれもそうですが、こだわりを持つ消費者もおります。
であるなら、やはり買い手も謙虚に作ってまれてありがとう、売ってくれてありがとういう感謝の気持ちをもってこそ、双方がウィンウィンなのではないでしょうか。
豊田喜一郎の名言②
「エンジニアは一日にして出来るものではない。有無無象が集まって出来るものではない。数百人のエンジニアを保護し、生活の安定と研究の自由を与えることが必要であって、その経費も決して高いものではないと思う」
個人的な印象ですが、昔は職人や技術者を育てることが当然のように存在していたと思います。
学んでその世界に入る人もいれば、入社してはじめてその道に入る人もいます。
学んだからといって実践で即戦力というものでもありません。
もちろん知らない人よりは飲み込みも早いとは思いますが。
なにより人を育てるということは時間と経費がかかるものです。
さらに育てた人たちがなにかを開発するのにも時間と経費がかかります。
それは当然のことなのですが、昨今の企業は経費削減ばかりが先行し、そういったところがおろそかになっているような気がします。
これでは今後の日本に未来はないのではないでしょうか。
今後、豊田喜一郎さんのような思いを抱いた経営者が増えてくれることを願うばかりです。
豊田喜一郎の名言③
「現場で考え、現場で研究せよ」
筆者は仕事は会社(現場)でするものであり、家庭に持ち込むものではない。
仕事のオンオフの切り替えをしてこそ効率がいい。
そう解釈しました。
仕事のオンオフの切り替えはとても大切です。
人は疲労が蓄積したままではあまりいいことを考えません。
負の連鎖になりかねないのです。
休養も仕事のうち、そう考えるのも大切なことだと思います。
大変な時期に自分だけ休んでしまうのは……という考えは日本人特有な考えにも感じます。
しかし、無理をした方がかえって迷惑になることを、失念しています。
正常な判断ができない状態こと危険です。
また現場で考えて研究をすれば、ほかの人の意見をその場で聞くことができます。明日、出社した時に聞こうでは効率が悪いですよね。
豊田喜一郎の名言④
「今日の失敗は、工夫を続けてさえいれば、必ず明日の成功に結びつく」
今日の失敗が明日早速成功に結び付くとはとても考え難いのですが、完全な成功ではなく小さな成功の積み重ねが完全な成功へと繋がると考えるなら、今日の失敗を工夫して成功に近づけていくことはできるかと思います。
そもそも技術的なことは今日明日という短時間で成果がでるものではありません。
しかし当事者にとっては、昨日の失敗を思えば今日は成功といえるのではないか、そのように考える人もいるでしょう。
ダメだったことばかり考えるよりは、わずかでも成功と言えると思える気持ちは大事かと思います。
技術者に限らず、人生のなにかにおいても……
豊田喜一郎の名言⑤
「一本のピンもその働きは国家につながる」
1本のピンだけでは……と思うかもしれませんが、されど1本のピンなのではないでしょうか。
1本のピンが業界を一変させるサクセスストーリーもあながち作り話とはいいきれません。こと産業の世界に関しては、些細な部品も重要でひとつとして欠けてはそれが成り立たないもの。
その製品が爆発的な売り上げをしたとしたら、まさに国家のなにかに繋がることになるかもしれません。
これは部品に例えて、もしかしたら社員のひとりひとりであったり、国民のひとりひとりの意識の持ち方などにも言い換えられるのではないでしょうか。
自分ひとりくらい参加しなくても……ではなく、小さな力にも満たないけれど与えられた権利は有効に使おうという意識を持つことは大切ではないでしょうか。
まとめ
創設者の父を持ち、自身も経営者の道を進んだ豊田喜一郎ですが、彼はまだ若い50代後半でこの世を去っています。
まだまだやりたいこともあったことでしょう。
上に立つということはその下に就く者たちの人生も背負う覚悟が必要ではないかと思います。
責任をとって辞任も確かに必要な時もあるでしょうが、再度社長職にという声がある中での……ですから、なおさらかなと感じます。
もし今の時代に彼のような経営者がいたら、技術者や研究者が他国に出ていくケースも少なく、日本で研究し日本で発表する人も多かったのではないだろうかと思うと、残念でなりません。
これから経営者を目指そうという方は、一度この方の名言を読み感じてほしいと思いました。