jdサリンジャー 名言集 英語



J.D.サリンジャーという名を聞いてもピンとこない人でも、「ライ麦畑でつかまえて」という作品はご存知だと思います。

読んだことがなくてもタイトルはとても知名度が高いので、聞いたことがある程度の方もおられることと思います。

アメリカの小説家で、21世紀までご存命であった方です。

「ライ麦畑でつかまえて」は1951年に発売されていますので、半世紀以上経った今でもJ.D.サリンジャーさんの代表作として人気があります。

そんなJ.D.サリンジャーさんとはどんな方だったのでしょうか。

J.D.サリンジャーとは?

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J.D.サリンジャーさんは1919年生まれ2010年91歳没のアメリカの小説家です。

彼はポーランド系ユダヤ人で実業家の父を持ち幼少期はとても裕福な家庭の中で育ちました。

1939年コロンビア大学時代、文芸誌の創作講座に参加し処女作が掲載されます。

これを機に作家への道を歩むことになります。

しかし太平洋戦争が始まりその影響で作品掲載が延期に、またお付き合いしていた女性はチャップリンと結婚してしまうという事態に……

その後陸軍に志願、ところが戦況が悪化していくと精神を病んでしまい1945年に除隊します。

代表作となる「ライ麦畑でつかまえて」は1951年に発売され作家として成功していきますが、私生活は結婚と離婚を繰り返していきます。

晩年はほとんど公に姿を見せることなく2010年自宅で老衰のために亡くなります。

実はまだ未発表の作品があるようで、所有している遺族が出版の準備をしているようです。

J.D.サリンジャーの名言①

「いつだって僕は、会ってうれしくもなんともない人に向かって「お目にかかれてうれしかった」って言ってるんだから。生きていたいと思えば、こういうことを言わなきゃならないものなんだ」

「I am always saying “Glad to’ve met you” to somebody I’m not at all glad I met. If you want to stay alive, you have to say that stuff, though.」

人はひとりでは生きていけません。

また働かなくては生活もできません。

どのような仕事にも需要と供給がいい具合に釣り合っていなければならないし、そうなるように動かなくてはいけません。

仕事をとるにしても、人付き合いは欠かせません。

たとえ社交辞令だとしても、相手の気分を損ねることは得策ではありませんので、人気商売になればなるほど、嬉しくもない相手に会えて嬉しいとおべっかを言わなくてはなりません。

商品の売り込みにしてもそうですし、買ってくださるお客様に対しても同じですよね。

これからも生きていきたいのなら……というJ.D.サリンジャーさんのこの言葉は今の時代、どの職業、どのような場面にでも言えることと思います。

J.D.サリンジャーの名言②

「ただ人を好きになるのには、もううんざりしてる。誰か尊敬できる人に会えないかなって、心からそう思う」

「I’m sick of just liking people. I wish to God I could meet somebody I could respect.」

自分以外の人に対し、好きか嫌いかで区別することは簡単なことです。

ここでは嫌いに分類された人のことは敢えて触れないでおきますね。

好きと分類した人の中でも、好きにもいろいろあってさらに分類されると思います。

漠然と「まあ、強いて言うなら好きかな」というタイプが大多数ではないかと思います。

なぜなら、理由もなしに人を嫌いな人と分類しませんよね。

嫌いな理由がなければ、好きか嫌いかで分けなくてはいけなければ好きに入れるでしょう。

または好きになろうと努力するかもしれません。

意識して好きになるのは意外と苦痛であることの方が多いのではないでしょうか。

もっと明確な理由、尊敬であったり敬愛であったり、そういった意味で好きだと言える人との出会いは、自分の人生にも意味があると思うし、共にいて得られるものも多いでしょう。

損得で人との付き合い方を選ぶというのもえげつないですが、多かれ少なかれ、人とはそういう生き物なのではないかと思うことも少なくありません。

J.D.サリンジャーの名言③

「罪は消え去るものではない。罪を消滅させることはできないのだ。罪は充分理解されることさえない」

「A crime doesn’t melt away.It isn’t possible to make a crime become extinct.Even the thing understood sufficiently is innocent.」

法的に罰せられる罪は償うことで社会復帰することができる場合もありますが、決して犯した罪が消えたわけではなく一生背負って生きていくしかないと思っています。

罪を犯した人が罪を背負い生きていくのだから幸せになってはいけないというわけではありません。

幸せを手に入れたことで過去の罪を忘れてしまうことはいけないことと思います。

では法で罪とならない罪はどうでしょうか。

誰しも一度くらいは嘘をついたことがあると思います。

些細や嘘であったり誰かが完全に困ってしまうくらいの嘘であったり。

人が簡単に罪を犯せるものが嘘であると言われたことがあります。

ではその嘘の罪は消すことができるのでしょうか。

ずっと心に引っ掛かりを持ったままの人もいるでしょうし、すっかり忘れてしまっている人もいるでしょう。

引っ掛かりを持っている人は罪は消えないのだということを身をもって体験していますが、忘れてしまった人はもう過去のこと、帳消しとなっているのだと思います。

だから忘れてしまえるのです。

では、忘れてしまえるような罪をなぜ犯すのでしょう。忘れられる程度なのだから、あえて罪を犯さなくてもよいと思いませんか。

忘れてしまう罪を犯す意味がわかりません、理解できません。

J.D.サリンジャーさんがそういう意味でこの言葉を遺されたかは定かではありませんが、筆者はこのように解釈しました。

罪は消えない、だけど過去に置き去りにしてくることはできる……というようなことを言われたことがあります。忘れてしまった罪はこういうことなのだと思います。

J.D.サリンジャーの名言④

「人って肝心なところはまるで見ていないんだよな」

「A person isn’t seeing an essential place at all.」

見ているようで実は見てくれていないところが肝心なところだった……という経験をしたことがある人、いるのではないでしょうか。

たとえば、やったやっていないの水掛け論、肝心の箇所の前後はお互い一致しているのに、重要なところだけが確証得られず、水掛け論に発展すること。
どうしてでしょうね。

事の成り行きはすべて見ていたはずなのに、なぜ肝心なところだけは断言できなかったり、見落としていたり……

完璧な人間はいないという説もあります。

だからいいじゃん……ではいけないのですが、完璧ではないのだから常に注意力は持ち続けないといけないのかもしれません。

J.D.サリンジャーの名言⑤

「幸運を祈るよ!」なんて、僕なら誰にだって言うもんか。ひどい言葉じゃないか、考えてみれば」

「”Good luck, I hope!”.For whom even am I anything to say? When I think whether it isn’t a terrible word.」

グッドラックのなにが酷い言葉なのだろうか……と、外国での本当の意味を確認してみました。

日本語に直訳すると幸運を祈るになりますので、相手のことを思っての気遣いの言葉のようにも受け取れます。

しかし、外国の方ではどうやら気遣いではなくもっと砕けた、雑というか、そのような意味にもなるようです。

たとえるなら、「まあ、無理だとは思うけどとりあえず頑張ってみたら?」的な意味でも使われるようです。

確かに、そういう意味合いでもグッドラックというのであれば失礼ですよね。

良かれと思っていた言葉でも、本当の意味を知らないと失礼になってしまう。

それはお国柄にも関係してくることですので、むやみやたら使うものではないですね。

外国の方に向けて言う時はその方のお国柄を理解しなくてはなりません。

無理して英語を使う必要もないと思います。

頑張るという言葉は日本特有であると聞いたことがありますので、日本語で「頑張って」というだけでも相手の方に伝わるのではないでしょうか。

意味を知らないととても恥ずかしい、または失礼な言葉になってしまうものはほかにもあり、代表的なのが「グッドバイ(good-by)」意外なところで日本語の「さようなら」もあります。

何気なく使っていた言葉の本当の意味を知ることが、今後は重要になるのではないでしょうか。

それこそが世界の人との交友の第一歩のような気がします。

まとめ

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J.D.サリンジャーさんは作家であるからでしょうか、遺される言葉が抽象的であったり、意味深であったりしています。

どう受取り解釈するかは読み手次第というところがありとても難しいのですが、味わいのある言葉をたくさん読ませていただきました。

その多くは彼が書かれた作品からの抜粋であるのですが、作品も彼の一部と思えば彼の言いたいことを登場人物が代弁しているとも考えられるのかな……とも思いました。

そう考えると、作品の読み方も変わってくるようにも感じました。