中田英寿という名前、日本人ならほとんどの方がご存じだと思います。
若干世代が違うと、なにをした人なのかがわからないという方もいるとは思いますが、ある一定の年代以上の方であれば、彼を語らずしてサッカーは語れないと豪語する、熱烈なファンもいらっしゃることでしょう。
ここでは熱烈なファン向けというよりは、中田英寿さんご本人の人となりを感じられる名言を集め、中田英寿さんとはどういう方だったのか、初歩的なことに的を絞りたいと思います。
世界で活躍した元サッカー選手、中田英寿さんとはいったいどんな方だったのでしょうか。
中田英寿とはどんな人物?
1977年生まれ、現役時代のポジションはミッドフィールダー、利き足は右です。
北新サッカースポーツ少年団からはじまり、ベルマーレ平塚に所属してプロとして活躍していきます。
1998年、イタリアのサッカーチーム、ペルージャに移籍してから、2006年まで世界で活躍をします。
1991年、ユース時代から2006年引退するまで全日本代表としても活躍をしました。
その後、フリーランスとして活躍をし、現在は国際サッカー協議会の一員として活動の傍ら、書籍などの販売にも携わっているようです。
中田英寿さんは漫画好きで、キャプテン翼でサッカーをはじめるきっかけとなったそうです。
そんな中田英寿さんの名言とは……
中田英寿の名言①
「物事はできるだけ簡単にいくほうがいいけど、難しくないと面白くない」
なにごとも物事は簡単にいった方がいいに決まっています。
しかしゲームやクイズなどはどうでしょうか?
試合もその中に含んで考えてみてください。
あっさり勝ってしまった方が楽ですが、そこに達成感のような感覚や楽しみというものを感じることができたでしょうか。
ものすごく難しいでは楽しみもなくにりますので、ほどよい難しさがあると、楽しく達成感を得られると思います。
中田英寿の名言②
「頑張るのは当たり前で、あえて口に出して言うことではなく、その上で何が出来るのかを考え、実行するのがプロでしょう」
世の中、みなさん頑張って日々生きていると思います。
その頑張りどころを勉強に集中したり仕事にしたり、それは人それぞれです。
プロフェッショナルな選手であれば、誰だってそれ相応の頑張りや努力をしていると思うものです。
それをあえて言われてしまうと、ちょっと幻滅したり印象がかわったりした覚えがある人もいるのではないでしょうか。
そういったことは口にせず、ただ見合う結果をを出しチームなりに貢献する人こそ、一流の選手なのではないでしょうか。
人一倍の頑張りをしたからこその結果です。
もちろん天性の天才肌で、とくに頑張りもせずに結果をだす人もいるでしょう。
しかし、ほんとうに何もしていないでしょうか。
人知れず努力をしているのではないでしょうか。
この言葉からはプロとしての自覚、意気込み、そして子供たちに見せる姿のように感じました。
中田英寿の名言③
「遊びも一生懸命やるから楽しい。中途半端に遊んだらつまんない。遊びも仕事も一生懸命やるほうがいい」
仕事に関しては、どういう姿勢でいるかで少し変わってきますが、遊びに関しては大人も子供も同じだと思います。
手軽にできるボール遊びでも、とくかく一生懸命遊んでみると普段のボール遊びと違った満足感が得られるものです。
もしかしたら嫌いな勉強も一生懸命挑んでみたら、意外と楽しかったりするかもしれません。
仕事も毎日同じことの繰り返しと思わず向き合えば、違ってくるかもしれません。
一度、一生懸命に挑んでみるのも悪くないのではないでしょうか。
中田英寿の名言④
「ミスすることを恐れては勝利はない。それがどんなに大きなミスであっても、ミスしたことを後悔はしない。それも自分の実力の一部であるし、勝つためには避けて通れないチャレンジだから」
誰にでもミスのひとつやふたつあるとよく言います。
人のやることですから、完璧はないと言い切る人もいます。
わかってはいても、ミスした側としては気にするし落ち込むのが一般的な人というものでしょう。
またミスから学び次にいかせるのだから、そのミスは必要あるミスだったと考える人もいますが、そこまでメンタル強くないし……と思うのも、一般的な人の心理というものです。
わかってはいるけれど、上手く切り替えられないのが人というものでしょう。
しかし、こういう言葉が出るということは、周りは自分で思っているほどではないとも受け取れます。
挑むことが大事で、その結果は次に繋がると言っているのではないでしょうか。
ミスを恐れなにもしないよりは、恐れずに挑んだ人の方が評価されるのだと思います。
そうはいっても、全体を見渡して不必要な失敗をしてしまっては責められるだけなので、見極める力は必要でしょう。
中田英寿の名言⑤
「すべての出来事は、すべてが未来への糧になる」
歴史に学べと似ているように感じました。
しかしこの言葉は歴史と広い範囲ではなく、己自身の出来事に焦点を当てているようにも取れます。
自身や身の回りでの出来事は未来の糧になると解釈してもよいと感じました。
今の自分自身がなにを考えて、どう判断して行動したのか、それらにはちゃんと意味があり、その答えを知ることができるのは未来。
未来は数分先かもしれませんし、数年、数十年先かもしれません。
壮大なことをいえば、今生きていることは未来の糧となるので、生きている意味があるというスケールの大きい解釈もできるかと思います。
もし何かに迷い、悪い方に考えが傾いてしまっているとしても、それにもきっと意味があるのでしょう。
そう思えば、必然と顔は前を見据え、未来へと踏み出せるのではないでしょうか。
まとめ
若い頃から一流の選手であった彼の言葉は、ひとつひとつに重みがあり、そして響きます。
嘘偽りなく、彼本来の言葉であることが伝わってきます。
そう感じるのは、彼は自身の行動に責任を持ち続けたからではないでしょうか。
そして必ず目に見える結果を出し、残したからです。
大きなことは無理でも、些細なことくらいは有言実行したいものですよね。
例えるなら、子供と日曜日遊ぶ約束をしたら、その約束を守るために日々の仕事を精一杯するとか……
そんな父親の姿を見て育った子供は、きっと自分の子供にもそういう親の背中を見せるのかな……と思いました。