哲学者といえば、どなたの名前が出てくるでしょうか。
とくに興味のない人も含めれば、哲学者といったらニーチェかな? と答える人が多いのではないでしょうか。
では、このニーチェは誰に影響されたかご存知ですか?
それがショーペンハウアーなのです。
ともにドイツの哲学者の代表的な方です。
あまり興味のない人でも知っていると思われる哲学者ニーチェに影響を与えた、ショーペンハウアーとはいったいどんな方なのでしょうか。
ショーペンハウアーとは?
ショーペンハウアーはアルトゥル・ショーペンハウアーというのが正式名になります。
1788年生まれ1860年72歳没、ドイツの哲学者です。
先にも明記しましたが、ショーペンハウアーの影響を受けた人は多く、その代表的なのがニーチェであることは有名です。
しかしほかにも聞けば知っているくらい有名な方も影響を受けています。
たとえば、作曲家のワーグナー、理論物理学のアインシュタインです。
おふたりともドイツの方ですね。
ショーペンハウアーは裕福な父、小説家の母の間に生まれ、一度は商人であった父の遺志を受け商人の見習いをはじめますが、学問への道をあきらめきれず進学をします。
医学部から哲学部へと転部し、1819年「意志と表象としての世界」を完成させます。
晩年はフランクフルトで余生を過ごしますが、生涯結婚することはありませんでした。
ショーペンハウアーの名言①
「我々は、他の人たちと同じようになろうとして、自分自身の4分の3を喪失してしまう」
「We try to be other people similarly, and lose our 3/4.」
誰かに合わせる、ほかの人と同じことをしよう、同じ考えを持とうとすることで調和がとれることを人は学びます。
しかし、そうすることで自身の考えであったり、自分らしさを抑えてしまいますよね。
1:1ならまだわずかで済みますが、数人と調和を保とうとすると1:1ではいられません。
自分の1/10くらいで済んでいたところを2/10にしなくてはいけなかったり、もしかしたら半分以上抑えなくてはならないことも……
調和であったり平和を維持するというのはとても難しいことであることが、この言葉からわかるのではないでしょうか。
ショーペンハウアーの名言②
「孤独を愛さない人間は、自由を愛さない人間になってしまう。なぜなら、孤独でいるときにのみ、人間は自由になれるのだから」
「The man who doesn’t love loneliness is the man who doesn’t love freedom. Because because man can be freely only when he’s lonely and is here.」
他人との付き合いには自分自身を抑えて周りに合わせることが必要で、それをすることで自分3/4を失ってしまうというショーペンハウアーの言葉、では自分自身を失うことなく自由でいるためには孤独が一番であることは明白です。
常に孤独でいる必要はありません。
孤独になれる場所や時間は生きていく中でなくてはならないことと思います。
自由とはなにをやっても許されるわけではなく、決まりごとのなかでの自由です。
家庭を持っているなら週末の数時間だけひとりにしてほしいとか、互いに協力し合って得る必要があるかもしれません。
ひとりになりたくないという自身の感情で相手の自由を奪うことはしてはいけないことと思います。
孤独になる時間は心の洗濯、ストレス解消にもなると思っています。
ショーペンハウアーの名言③
「天才は平均的な知性よりは、むしろ狂気に近い」
「A genius is near distraction in fact than the average intellect.」
稀に、いい学校出ているのになんでこんなこと……と思う事件などが起きることがあります。
日本ではバカと天才は紙一重という言葉があるように、奇抜な考えをすることを凡人からみたらバカみたいと思うこともありますよね。
奇抜な発想をよい方へと発展させる人と、その逆をいき犯罪に手を染める人といます。
この言葉を見た時、「わかる!」となりました。
凡人には考えもつかないことは奇抜であることが多く、天才にとっては奇抜どころか大発見的なことなのでしょう。
そして珍しくもなく当たり前のこと。
しかし凡人にはそれが素晴らしいことなのか、そうでないのかの判断ができないのです……悲しいことに。
ショーペンハウアーの名言④
「読書とは、自分で考える代わりに他のだれかにものを考えてもらうことである」
「Reading is the case that someone else considers a thing instead of thinking by oneself.」
自分で考え答えを出して行動を起こすことはとても大事なことだと思います。
しかし、自分以外の考えを知るためには誰かに本音で語ってもらわなくてはなりません。
本音で語り合える間柄は限られており、またそれでは広い範囲での様々な考えを知ることはできません。
そこで登場するのが書籍です。
筆者的にはそれが小説であれラノベであれ漫画であれ辞典のようなもの、なんでもよいと思います。
本には書き手が生み出すいろんな考えが散りばめられており、現実的であれ非現実的であれ、そういう考えもあるのだということを知れる身近な存在と思います。
物語世界観に入り込み、あたかもそこで繰り広げられる考えが正しいとは限りませんから、やはり自分の考えというものはしっかり持つべであると思います。
それでも世の中にはそういう考えもあるということを知り吸収していくには読書は素晴らしい行為であると思います。
ショーペンハウアーの名言⑤
「信仰は愛のようなもので、強制することはできない」
「It isn’t possible to force belief by something like love.」
なんて素敵な言葉でしょうか!
まさにその通りだと思います。
信仰する気持ちや行為は愛です。
愛情の押し売りはやってはいけませんし、された方は迷惑ですよね。
また断りたいけれど断りにくい状況に陥りやすいものです。
これら、信仰の強制・強要に似ていると思いませんか。
全うなところは勧誘はしませんし、まして強制も強要もしません。
神社などは行き来は自由ですしその場限りの神頼みに対しても寛容、むしろ歓迎ムードです。
しかしながら、親が〇〇信仰なのだから子も当然〇〇信仰しか認めない、そういう状況も実は身近によくあることで、日本は信教の自由を認めていますが、家庭や親族といった身近なところでは信教の自由は浸透していないと感じます。
また日本人なら〇〇信仰といった勝手な押し付けも残っており、21世紀の今でさえこうなのですからショーペンハウアーが生きた時代のドイツでは「信仰は愛のようなもので、強制することはできない」と発言するのはとても勇気のいったことだと感じます。
まとめ
人間観の理想といったらそれまでですが、今の時代よりはるかに言動の自由がなかったであろう時代に、思い切ったことを言い切ることができるのはすごいと単純に思います。
哲学は小難しく、あまり馴染みはないのですが、今の時代にもマッチした言葉の数々を19世紀に発言していたというのはすごいことです。
また、今の時代にマッチしているということは、19世紀からほとんど進歩していないということにも思えます。
とくに日本においては全然先進国とはいえないと感じずにはいられないです。
逆に、理想通りに生きるというのはどの時代もなかなかできることではないのかもしれないと痛感もしました。