野口英世と聞くとなにを連想するでしょうか。
お札の人という方もいれば、手を火傷した人と答える人もいるでしょう。
そのあたりは世代でわかれそうな気もします。
筆者はどうしても火傷した不自由な手を持ちながらも医者になった人ということで覚えています。
医者を志したのは、不自由な手を手術してくれたことに感激したからということもおぼろげに覚えています。
細菌学者として名をあげるなら、まずこの方の名前を出すくらい、知名度は高いと思います。
生涯を持ちながらも負けずに医者となり、後々名を残すほどのことを成し遂げた野口英世さんとはいったいどんな方なのでしょうか。
野口英世とは?
1876年生まれ1928年51歳没。
生まれた時の名前は清作という名でした。
小学校の時は左手の火傷のことでいじめられたこともあるようです。
その火傷は1歳の時に囲炉裏に落ちたことで負うことになります。
不自由な左手を抱えたままで農作業ができず、それならば学問の道で生きるとかないと母の教えがあったという話です。
野口英世はとても優秀だったことから途中から小学校を変わります。
そこで自身の不自由な左手のことを作文に書き、教師や同級生らから同情され手術費用の募金がされることになり、受けることになります。
完治はしませんでしたが、今まで動かなかった指がわずかであるが動くようになったことから感激し、医者を目指すようになります。
野口英世の凄いところは、高校を卒業後に上京して医師免許の試験に受かってしまうことです。
高卒ということは、専門的なことは独学であったとのことです。
その後、黄熱病や梅毒などの研究をして名を残すことになりますが、自身が研究していた黄熱病にかかり亡くなってしまいます。
努力で人生を切り開いた野口英世さんの遺した言葉とはどんな言葉があるのでしょうか。
野口英世の名言①
「変えられるものが二つある。それは自分と未来だ」
確かに、自分自身と未来は変えることができると思いますが、自分自身を変えるということは未来を変えるよりも大変ではないでしょうか。
自分を変えない限り未来も変わりませんので、未来を変えるには自分を変える必要が絶対となります。
自身を変えることは、自身の悪いところを知り認め改善していかなくてはなりません。
人は自身の欠点を指摘されると怒ったり落ち込んだりしてしばし止まってしまいます。
指摘されたことを受け入れ、ありがとうと言える人はほんの一握りでしょう。
そういう人に限り、未来も変えることができると思います。
言うのは簡単、実行するのは現状維持するよりも大変ですよね。
わかってはいるけれど、なかなかできない理想な言葉に感じました。
それでも、実行した人がいる、実行しようと考えているという人がいるのなら、その人の未来はとても輝いているのだろうと考えます。
野口英世の名言②
「誰よりも三倍、四倍、五倍勉強する者。それが天才だ」
なにもしないで天才でいられるわけがありませんよね。
しかし、本当の天才はその苦労や努力を自身のからは言わないので、傍からみれば努力も苦労もしていないとみられてしまうのでしょう。
自分だってしていると思う人もいるでしょう、でも天才には程遠いところにいるのなら、天才はあなたの何十倍も努力をしているのだと思いましょう。
仮に天才の両親の遺伝子を受け継いでいるからその子供は天才なのだという考えもあるとは思います。
しかし、親の財力を受け継ぐことはできても学力は親の持つ学力をそっくり受け継ぐことはできず、やはりゼロから学ばなくてはならないので、天才と言われる人はそれなりの勉強を積み重ねているのだと、そんな話をされたことがあります。
それも一理ありますが、財力の貧富で学力に差が生じるという話もあります。
昔は努力すれば貧しい家庭の子供でも援助などがあったと思いますが、今の世の中では昔の恩情のようなものが薄れ、学力の差には財力の差も関係していくのでは……と思うこの頃です。
野口英世の名言③
「教えに来たのではありません。習いに来たのです」
誰かに教えることで、また自身も学びなおすことができると仰った先生がいました。
教えてやるんだという態度より、ともに学びましょうという姿勢でいてくれた方が楽しい学びの場になりそうな感じがします。
実は筆者も聞かれて教え答えていると、逆に教えてもらっているような気持ちになることがあります。
疑問にも思わなかったことが、世代や性別、生活環境が違うだけで疑問に思うことがあるのだということを知ることができるからです。
きっと、社会に出ていくと、そんなことばかりのようなことがします。
教師をしている方も、生徒と対面していることで逆に教えられることってあると思います。
教える立場とふんぞり返らず、教え学ぶ立場であるという姿勢が大事なのかもしれませんね。
野口英世の名言④
「この世界には人間の頭数と同様に、仕事は沢山あるはずである」
えり好みしなければ仕事はたくさんあるとよく言いますよね。
きっと求職中の方は言われた経験があるのではないでしょうか。
しかし野口英世さんのこの言葉は、既存の仕事ではなく、自分で仕事をつくる、持つという意味にもとれるのではないでしょうか。
人の数だけ個性があります。
もちろん能力もその人の数だけ。
個性と能力でその人にしかできない仕事があると解釈すれば、確かに頭数だけの仕事はありますよね。
専門職や職人さんなどが、この言葉に値するのではないでしょうか。
野口英世の名言⑤
「人は、四十になるまでに、土台を作らねばならぬ」
40までに人生の土台をつくるということなのでしょう。
昔は寿命も今ほどではないので、40という年齢も決して若くはないと思います。
今の時代では40は若い世代の終わりくらいでしょうか。
職業によってはまだまだひよっこと言われる年代かもしれません。
しかし社会人としてではなく人としてというなら、もっと別の見方ができるのではないでしょうか。
自分の生きる道の土台、とでもいいましょうか。
時代の流れで、今ではそのような考えを持つ人もあまりいないように思いますが、それでも自分の家庭というものを持ったのであれば、守るべき家族のためにあまりフラフラしてはいられませんよね。
まとめ
努力をされた方だけあって、自分にも他人にも厳しいお言葉の数々。
しかし、自分にも厳しいのですから他人に厳しくても当たり前ですよね。
だんだん、昔の人のように生きることがなくなりつつありますが、屈強をバネにして頑張った人の結果を、この野口英世さんから見ることができるのではないでしょうか。
ただ、自分にとって尊敬できる出来事が子供の頃にあると、その人と同じ仕事を目指したいと思うのは今の時代も同じだと感じました。
とくに、病気を治してくれたので、同じ病に苦しむ人を自分も救いたいと、医学の道に進むという話も聞くことがあります。
そう考えると、子供の頃の経験はとても重要なのでは? と思います。