好きな漫画、小さなころに夢中になったアニメはありますか?
妖怪の世界は信じますか?
私は、妖怪大辞典を持っていました。
枕返しって妖怪が私の枕をひっくり返しているんだ!!と思っていました。
この世界を描いたのが有名な水木しげるです。
水木先生の妖怪は、身近な私たちの生活に起こることに密着していました。
しかも、妖怪の住んでいる県もご紹介。
一反もめんは、鹿児島県出身で鹿児島便でしゃべっていたのが印象的です。
水木しげるとはどんな人物?
水木先生は、大阪で生まれますが、2歳ごろから鳥取県境港市で育ちます。
のびのびと育ち、勉強より遊びが優先の幼少時代だったようです。
しかし、図画には優れた才能を発揮し、画家を志しているとき、太平洋戦争が起こり、兵隊としてニューブリテン島に行きました。
戦地での過酷な環境の中、左腕を負傷し、切断します。戦地に十分な医療があるはずもなく、応急処置でしのぎ、左手を失ったまま、水木先生は、日本に帰りました。
水木先生は、左手を失った悲しみより、これから絵の勉強ができる!ということに喜びを感じていたそうです。
すごいですね。
絵を描くのに手がなかったら・・・・
私なら、絶望してしまいます。
絵を書くことをやめてしまいます。
しかし、受験の失敗や戦争、左腕切断、さまざまなことがありながら1960年、「墓場鬼太郎」を執筆します。
これが「ゲゲゲの鬼太郎」の起源となります。
ほかにも河童の三平、悪魔くん、のんのうんばあとオレが代表作です。
私は、ゲゲゲの鬼太郎と悪魔くんをテレビで見ていました。大好きなアニメでした。
最近、ゲゲゲの鬼太郎が始まり、久しぶりに子供と見ています。水木先生の人生は、妖怪に捧げたと言っても過言ではありません。
その世界観は、今も何度もアニメや映画になっています。忘れられない作品です。
幸福の7か条とは?
水木先生は、2015年93歳で亡くなりました。
しかし、その生き方、考え方は今でも注目されています。先生の出した本に幸福の7か条があります。
幸福の七カ条
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない
第二条 しないではいられないことをし続けなさい
第三条 他人との比較ではない、あくまでも自分の楽しさを追及すべし。
第四条 好きの力を信じる
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ
第六条 怠け者になりなさい
第七条 目に見えない世界を信じる
読んでみていかかでしたか?
努力は裏切る・・・私は、この文章が印象的でした。
勝ち負けではない、他人との比較ではない・・・そんな本は読んだことがあります。努力は裏切る、とは聞いたことがないからです。
私の親も私も子供に努力は大事と話しています。
それは、間違い?と考えてしまいますが、よく読むと、それだけではないですね。
才能と収入は別ということです。
才能があっても活かし方を考えなくては、収入ではないし、才能自体気づかないとどんな努力も方向が間違ってしまします。
好きを自分の力にして、それ以外に目を向ける必要はないよ、怠け者でいていいよ、と言われているようです。
好きを大事にすることは、努力とは言いません。
夢中になっている、と言うことなのです。
水木先生は、妖怪の世界を描きながら、その世界を好きで楽しんでいたのですね。
では、水木先生の名言集を見ていきましょう。
水木しげるの名言①
済んだことを言うもんじゃねぇ
こんなこと言えますか?
私は常に済んだことでもグチグチ言っています。
なんか嫌な性格だなぁと自分で思いながら、止まりません。
済んだこと、と思えないのです。
潔さが足りないと言うか、私は欲が強いと思っています。
水木先生は、そんな欲やプライドなんてどうでもいい、と言っている気がします。
水木しげるの名言②
目先のことにうろたえたりヤケになったりしちょってはどうにもならんぞ
わかります。
毎日仕事でため息が出ます。
失敗してしまった!!と目先のことで落ち込んで、気持ちの切り替えができません。
目先にうろたえて、カーッとなってしまいます。
しかし、うろたえたり感情的になってもことは、解決しません。次にどうしたらいいかが、大事なのですね。
水木しげるの名言③
苦しいことから逃げてはいけない。
ラクはいつだって出来る。
この言葉、分かっています。
わかっているけど、ラクしたいのです。と、私は言ってしまいます。
ただ人生40年生きると、この言葉の重みを感じます。
そうなんです。生きるってラクではありません。
苦しいのです。逃げたいのです。
生きる以上、逃げてはいけないのです。
ラクに何を成し遂げることもできません。大変なところに達成感や成功は起こるのです。
水木しげるの名言④
戦争で片腕を失っても絶望なんてしなかった。
だって生きているんだから。
私は、腕や足を失ってこんな言葉を言える人生が送れるのでしょうか?
生きて生きた後に、よかった・・・と思えるのでしょうか?
失った不便さに毎日、戦争を恨み、人を恨んで生きたかもしれません。
水木先生は、腕を失いましたが、同時に多くの仲間が亡くなっていく姿も見てきました。
生きることにつらさを感じたこともあるはずです。
しかし、腕を失っても生きていること、それが大事で、生きるという幸せをもらったのだから、それを生かそう!といしていたように思えます。
だからこそ、ゲゲゲの鬼太郎が生まれたのですね。絵を描くこと、漫画を描くことをあきらめなかったからですね。
水木しげるの名言⑤
人生をいじくり回してはいけない。あわてずにゆっくりやれ。
人生をごちゃごちゃ難しく考える必要はないのでしょう。
私はなぜ今自分はここにいるの?何をしたいの?何をしているの?と自問自答することがあります。
しかし、そうではなく、シンプルに考えて、ゆっくり自分の好きな道を進みなさい、と言うことなのでしょうか?
好きなこと、あります。
先生のように没頭できたら?と考えます。実行しないのは、勇気がないからです。
その「好き」が失敗したら?と思うからです。これがいじくり回している、ということですね。
まとめ
水木先生は、すごいです。
人生のがけっぷち、失敗や命の危機、さらには、漫画連載もうまくいかない日々がありました。
借金もしたし、連載が打ち切りもあったし、それでも自分の妖怪の世界を信じて描いてきたのです。
亡くなった今も、アニメになっているのは、水木先生の描く世界が世の中で、何十年経っても色あせない世界と言うことなのですね。