今まで平和を唱えている方は、たくさんいます。
私は中学のときに、湾岸戦争が起こりました。間近で始めてみた戦争でした。
観たときは衝撃を受けて、涙が出てきたことを覚えています。
今でも世界では、紛争やテロ、略奪がおこなわれ、多くの一般市民が犠牲になっています。特に女性や子供は、誘拐されたり、短い生涯を終えたりしています。
そしてみなさんは、マララ・ユスフザイという女性がどんな人物かご存知ですか?
マララ・ユスフザイとは?
この現状を世界へ訴えた女性です。
有名にしたのは、若干17歳にしてノーベル平和賞を受賞したことですね。
世界中で彼女がノーベル賞を受賞したことで、世界平和の難しさ、大事さを知ることになりました。
平和とは、いかに難しいのか?しかし、平和を作ることは、人しかできないのです。人が起こした戦争をやめることは、人がしなくてはいけないのです。
彼女は、1997年、パキスタン北部で生まれます。
父親は、女学校を経営しており、マララ・ユスフザイは父親の影響を受けて、学校に通い、医師を目指していました。
しかし、2007年、武装勢力・パキスタン・ターリバーン運動が彼女の住む地域を支配し、女性から学ぶ環境を奪う、恐怖政治を始めます。
彼女は、その状況の中、イギリスのBBC放送によりペンネームにより、ブログを書くことができました。マララは、幼いながらに、ターリバーンの惨状、女性の教育や人権の重要性を訴えました。
のちにオバマ大統領と面会を果たし、さらにパキスタン政府の軍が入り、マララのいたスワート渓谷は、ターリバーン支配から解放されました。
そのときに初めてブログを書いていたことを明かしました。
しかし、中学生に上がったマララ・ユスフザイは、スクールバスに乗っているところを複数の男に襲撃され、負傷します。
このような事件をマララ・ユスフザイは、世界に発信し続けます。
世界中で彼女の現状を救う対策や寄付が始まります。
小さな力が大きな力となった瞬間です。
彼女は、今も若いながらに平和への取り組みを世界で苦しんでいる人、命の危険にさらされている人のために尽くしています。
そんな彼女の名言をまとめました。
マララ・ユスフザイの名言①
1人の子供、1人の教師、1冊の本、1本のペン、それで世界は変えられます。
One child,one teacher,one book,one pen can change the worid.
教育を受ける権利が日本にはあります。
日本において当たり前のことです。小学校に行き、教科書や鉛筆があり、黒板で先生が勉強を教え、給食を食べて、図書室で探し物をしています。
落し物箱には、溢れんばかりの鉛筆や消しゴムが持ち主不在で置いてあります。
マララ・ユスフザイは、そんな恵まれた環境を味わっていません。
鉛筆もノートも大事です。勉強を教えてくれる先生も不足しています。子供も、家の家事や家計のために仕事をするため、教育を受ける環境がありません。
教育は、日本の歴史の中でもさまざまな権利の主張があり、その主張や考え方が今の日本の教育を実現させています。
しかし、そうでない国はたくさんあるということをマララ・ユスフザイは教えてくれています。
マララ・ユスフザイの名言②
もし、1人の男がすべてを破壊できるのであれば、1人の少女がそれを変えられない理由はありますか?
If one man can destroy everything,why can’t one girl change it?
まさにマララ・ユスフザイの経験から出てきた言葉です。
常に銃を持った人間が学校や町にいたら?
私は、家に閉じこもって外に出ることはないでしょう。
もちろん、外部との接触、メールも怖くてできません。
銃におびえ、自分の存在を目立たなくすることを考えて、その先のことなんて思いつきません。
しかし、彼女は11歳にして危険の伴うブログで世界に訴え、銃撃戦に巻き込まれても、意志が弱くなることはありませんでした。
1人の少女は世界の世論を動かしたのです。
マララ・ユスフザイの名言③
本を取り、ペンを手に取りましょう。それが私たちの最も強力な武器です。
Let us pick up our books and our pens, they are the most powerful weapons.
そう、マララ・ユスフザイは、知っていたのです。
本やペンがあることで世界を変えられる力があることを。
どんな困難で、どんな不利でつらい状況でも決して信念をあきらめることがなかったのは、この本やペンがあったからでしょう。
私たちは、言葉を文字にして伝えることで世界を変えられることを知りました。彼女の考えは、幼くして大人の考えです。
うちには子供がいますが、このような活動、自分の考えを訴える能力はありません。無邪気にテレビを見たり、ゲームを楽しむ子供です。
それはごく普通の日本でのことかもしれませんが、マララ・ユスフザイは、置かれた状況からみんなを救うため、精神力をあげる必要がありました。
そんな状況にしてしまった大人である私たちは、反省とともに平和を訴えて、少しでも子供が子供らしい日常を送れる事を考えていかなくてはならないのです。
マララ・ユスフザイの名言④
マララ、あなたはすでに死に直面しました。
これはあなたの第二の人生です。
恐れてはいけません。臆病になれば、前に進むことはできなくなってしまいます。Malala ,you have already faced death. This is your second life .
If you are afraid,you can’t move forward.
私は、死に直面したことはありません。
銃弾が飛んでくることもなければ、外を歩いていて、ナイフや銃も向けられたこともありせん。
日本にいたら、このような状況は異常な状況なのです。
しかし、マララ・ユスフザイの生きている場所は、それが日常です。
学校に行くのも命がけです。
目の前で銃弾が飛び、友達が血まみれになったら?あなたは冷静でいられますか?
さらに自分も銃弾を受けたら?
それから生きる人生に大きなトラウマと恐怖が刻まれ、精神がおかしくなるかもしれません。
彼女は、そうではない、臆病になっては前に進めない、人生をしっかり送ることは、できないと語っています。
第二の人生、それはあまりにも過酷な経験をしたマララにとって、世界平和を訴えることだったのです。
マララ・ユスフザイの名言⑤
「今日の夢」が「明日の現実」になると信じています。
私たちの夢を「明日の現実」へと変えましょう。I belive that today’s dreams become tomorrow’s reality.
And let ue make our dreams become tomorrow’s reality.
マララ・ユスフザイの言葉で一番印象に残った言葉でした。
彼女の夢とは、みんなが安心して学校に行き、ペンや本、先生がいる中でゆっくりと勉強ができて、安心して帰ってご飯を食べて学校の出来事を親と語りながら過ごす時間のことではないでしょうか?
子供が誘拐や拉致されず、親が紛争で命をなくすことが泣く、爆弾や銃弾が飛んでこない、それが彼女の夢です。
日本では、当たり前の日常。彼女はそのような日常がある国を知っているからこそ、「明日の現実」にしたいのでしょう。
同じ地球に住んでいながら、今も命が落とされているのは、悲しいという一言で済まされることではありません。
まとめ
マララ・ユスフザイの名言はいかがだったでしょうか?
胸にズシっときました。
私には2人の子供がいます。私は子供のためなら命も惜しくありません。
しかし、私の命ではどうにもならないことが、世界で起こっています。
マララ・ユスフザイは、これからも私たち、いえ、世界にこの現状を発信し続けて欲しいです。
彼女だからできたことです。
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