安岡正篤 名言 思考の3原則

安岡正篤は1898年から1983年、明治から昭和までを生きた思想家・哲学者です。

政界・財界・皇室も安岡正篤を頼りにしていたという逸話があり、昭和最大の黒幕とも言われたそうです。

黒幕と聞くとあまりいい印象はありません。

安岡正篤ご本人もそう言われることを好まなかったようです。

政界から皇室まで頼りにした安岡正篤の名言、とても気になります。

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安岡正篤の思考の3原則とは?

安岡正篤 名言 思考の3原則

私は物事を、特に難しい問題を考えるときには、いつも三つの原則に依る様に努めている。

第一は、目先に捉われないで、出来るだけ長い目で見ること。
第二は物事の一面に捉われないで、出来るだけ多面的に、出来れば全面的に見ること。
第三に何事によらず枝葉末節に捉われず、根本的に考える。
(安岡正篤 一日一言より)

この思考の3原則を活用する政治家などが多かったらしいです。

時間をかけ考え、全体的に広く見て、物事にとらわれず根本的なことを考えるというものらしいです。


言っていることは難しいですが、とても当たり前のことを言っているようにも感じます。

昨今の国会は議論時間が短く、一面しか見ず……といったところが目立つと思うことがあります。


そういうことを目の当たりにしていると、より一層この思考の3原則の大事さが心に沁みます。

なにも政治に限らず、社内での会議、家族間での会議にも値すると思いますので、そういう場面に接した時、この言葉を思い出すのはよいことと思います。

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安岡正篤の名言①

偉くなることは、必ずしも富士山のように仰がれるようになるためではない。なるほど富士山は立派だけれども、それよりも何よりも立派なのは大地である。
この大地は万山を載せて一向に重しとしない。限りなき谷やら川やらを載せてあえていとわない。
常に平々坦々としておる。この大地こそ本当の徳である。我々もこの大地のような徳を持たなければならぬ、大地のような人間にならなければならぬ。

偉くなるとそうなる前の自分を忘れがちになることがたまにあります。

偉い人を支えているのはひの下にいる人であることを忘れてはいけないと思います。


むしろ、自らほかを支えるような気持ちでいることの方が、自然と仰がれるのではないでしょうか。

言うのは簡単ですが、実践するのは難しいことです。


出来た人というのはあえて前に出ず、一歩下がり支える立場に回る人なのではないでしょうか。

もちろん偉い人の手腕も大事ですが、その人が偉くなったことに満足してしまったら終わりです。


自分が自分がとただひたすら前に出ようとせず、一歩引いてみるのも人間性を高めることになるのではないじょうか。

安岡正篤の名言②

「ありがたいとか、感謝とよくいうが、自分の生活の中でまず不満や愚痴は未練がましく漏らさない心掛けが肝要だ」

感謝を言葉や態度で示すことはとても大事なことです。

強要されることなく自然に出た感謝の言葉ほど、受けた側が嬉しく思うものです。


しかし酒の席などで妻への愚痴、親への不満などがついポロリと出て止まらなくなったという経験、一度くらいはあるのではないでしょうか。

誰にでも不満は抱えるもので、軽く口にしたことでスッキリすることもあります。


また言うつもりはなかったのにうっかり出てしまったと後悔することもあるでしょう。

しかし蛇口が開いたかのように不満や愚痴ばかりが出るのはどうでしょう。


鬱憤晴らしと未練の境は曖昧で線引きも難しく、言う側聞く側の感覚にもよるでしょう。だとするならば、言わない方が無難かもしれません。

しかしため込むのもよくないので、言う相手は選ぶべきで、また本人に言えることは言った方がよいのかもしれません。


ただ時代背景を考慮すれば、明治から昭和の男性は寡黙で余計なことを喋らないのが男らしいとされていたところもあります。

今の男性像とはかなり違うので、この名言に感じることは十人十色といったところではないでしょうか。

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安岡正篤の名言③

「日常の出来事に一喜一憂せず、現在の仕事を自分の生涯の仕事として打ち込むこと、そして、それを信念にまで高めなければ自己の確立はあり得ない」

この名言も時代によって感じ方が変わると思います。

昔は一度務めた会社に骨を埋めるつもりで働き、転職を使用なんてまず思うことが少なかったのではないでしょうか。


それゆえ、転職を繰り返す人はふらふらしているような印象を持たれていたのでしょう。

別に日常生活に一喜一憂してもよいと思います。


ただ、父親が子に見せる父親像としては、ひとつの仕事に打ち込む姿を見せるというのはよいのかもしれません。

これと決めた仕事に打ち込めばよいと考えます。

そうすればおのずと確立していけるのではないでしょうか。生涯打ち込める仕事に一発で出会える人もいれば、それまでに幾度となく転職を繰り返す人もいるでしょう。

言葉をそのまま受け入れず、時代によって解釈を変えるのも大事だと感じます。

安岡正篤の名言④

「ずるいことをやったり、人を押しのけたりして、地位や財産をつくるのも人間の能力、知能のひとつであります。
それを使っていろいろのことができる。できるけれども、そんなことができても、これは人間としては少しも偉いことではない。
社会的には偉いかも知れぬが、人間としてはむしろ恥ずべきことであります。
何を為すか、何をしたかということと、彼はどういう人間か、いかにあるか、ということとは別である」

いつの時代にもずるをする人、真っ当なことをして地位や財産をつくることができる人がいます。

一歩間違えれば犯罪にもなる、そのギリギリで築く人もいるでしょう。


地位や財産があるから人としても偉いかと問われれば、それは違います。

これは時代が変わっても変わることはありません。


残念なことに、人間として偉い人が地位を持てるわけでも財を持てるわけでもないし、保証もされていません。

だからこそ、人を見極めることが大事で、地位や財、学力もはいるかもしれませんが、それらだけで人の良し悪しを決めるのは、いえ、決めるようなことをしてはいけないのだと思います。

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安岡正篤の名言⑤

「たえず熱中する問題を持つこと、すなわち感激の対象を持つことだ。人生は退屈することが一番いけない。たえず問題を持つ者が、精神的に勝利を占める」

仕事一筋だった方が定年すると一気に老け込むという話を耳にしたことがあると思います。

定年後、趣味を持ち、新しいことに挑戦し、交友を広げていく行く人は外見もですが中身がとても若々しく感じます。


社交性のある人は幅広い年代や職歴の人と関りを持ちます。

そうすることでまた新しいことを知り興味を持ち、刺激を得ていくのだと思います。

生きている間は夢中になれるものを持つのが大事だと、そういう方々を見ていると切に思います。

まとめ

安岡正篤 名言 思考の3原則



安岡正篤の言葉は難しく、もしかしたら賛否あるかもしれません。

今の時代ではなかなか浸透しにくいものもあり、時代遅れと感じる言葉もあると思います。


まず筆者が、今の時代、それ言っても理解されないでしょう……というようなものもありました。

そんな中からできるだけ今の時代でも通用しそうなものを選んでみました。


しかし、安岡正篤が生きた時代を考えれば至極まともなことを仰っているように感じます。

時代が変わっても色褪せず、共感できる言葉を遺す人の偉大さを感じずにはいられませんでした。


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