個性派女優でもある樹木希林さんが、2018年9月15日に75歳で亡くなりましたね。
若くしてお婆ちゃん役をこなすなど個性豊かな演技で魅了した希林さんは、乳癌、全身ガンと2度もガンに侵されながらも何本もの映画に出演し最期までユニークでたくましく生き続けた人生観は、素直で虚飾しない言葉となって多くの人に感動を与えました。
そんな人間味ある言葉は、人々の生き方のヒントにもなる名言となり数多く残されています。
今回は、樹木樹林さんの心に響く名言などを紹介いたします。
樹木希林はどんな人?
樹木希林さんの本名は内田啓子、ロック歌手内田裕也を夫に持つ個性派女優として知られており、約40年以上も別居夫婦としての夫婦関係を続けてきた事でも知られています。
そんな希林さんは、薬剤師を目指していたものの断念し、1961年に文学座付属演劇研究所に入って悠木千帆の名前で女優業をスタートさせる事になり、1966年文学座を退団した後は個性派女優として数々のドラマや映画、CMにと出演し、20代から老け役が当たり役となってお茶の間の人気者になりました。
1977年に樹木希林と改名し個性派女優としてドラマや映画にと活躍を広め、映画では数々の賞を受賞するなど歴代としても名を残しています。
精力的に活動した希林さんも晩年は乳癌、全身ガンと大病との闘いでしたが、それにも屈することなく仕事をし続け、最期の最期までたった一人ですべてを熟してきたと言います。
そんな人生観から生まれる名言は、私達の人生にとっても役立つ言葉が多く、お母さんからの温かい言葉として大切にしたいと思います。
樹木希林の名言①
おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればいい。
これは、希林さんの葬儀の際に娘の也哉子さんが希林さんの言葉を紹介したことで知られる事になりました。
「贅沢にならず、人と比べる事もせず、毎日を楽しく平然と暮らしなさい」と言う母が娘に対しての言葉でもあり、自分が去った後も幸せに生きられるようにと言う思いを込めて残した言葉ともとれます。
「・・・人と比べず・・・」は、なかなかできそうで出来ないことですが、人と比べてしまうとどうしても焦りがでたり、視野が狭くなりがちにもなるため、自分らしく生きて行くことが一番だと言う事なのでしょうね。
樹木希林の名言②
嫌な話になったとしても顔だけは笑うようにしているのよ。
井戸のポンプも動かしていればそのうち水が出てくるでしょう・・・
同じように面白くなくてもニッコリ笑ってるとだんだん嬉しい感情が湧いてくるものよ。
嫌な時に笑うと言う事は難しい事ですが、確かに顔だけでも笑顔になるとポジティブにもなり気分も明るくなってきますよね。
また、相手の心も不快にしなくても済みますし、確かに笑顔は魔法ですね。
これも全ては、自分自身よりも相手を思いやる心がそうさせるのだともとれますが、希林さんの心の優しさが伝わってくる言葉です。
樹木希林の名言③
どの場面にも善と悪があることを受け入れることから本当の意味で人間がたくましくなっていく・・・
病と言うものを駄目として、健康であることを良しとするだけなら、こんなつまらない人生はない。
全身ガンに侵されながらも最期まで特別な処置もとらずに自然のままで毎日を過ごした希林さんは、病になった事を悩むよりも自分に与えられた運命を楽しんで生きたとも言えます。
ガンと闘うと言うよりも病を受け入れて、仲良く余生を過ごしたともいえますし、こんなところにも希林さんの面白がって生きると言う言葉が生きていますよね。
どんな人でも自分の命の短さを知った時は誰かに頼りたい気持ちになり愚痴の一つも言いたくなるものですが、希林さんが逞しく見えるのはそんな人生観を持っていたからなのでしょうかね。
樹木希林の名言④
夫とは、私にとってはありがたい存在です。
ありがたいと言うのは漢字で書くと「有難い」、難が有ると書きます。
人がなぜ生まれたかと言えば、いろんな難を受けながら成熟していくためなんじゃないでしょうか・・・。
希林さんの夫は、有名なロックミュージシャンでもある内田裕也さんですが、結婚して1年半足らずで別居し以後40年以上も別居婚を続けた異色のカップルとしても知られています。
結婚当初から希林さんは夫の暴力に悩み、暴力が始まると家の中はめちゃくちゃ、包丁を何本も買いにいき、金物屋のご主人に「お宅の包丁はどうしてこんなに壊れるんですか?」と言われるほどだったようです。笑
また、この他にも数々の女性関係などでも話題になり、夫婦生活を続ける理由がないとも言えますが、希林さんは断固として離婚を拒否していた事は確かです。
しかも、「内田裕也の全てが好きです。全てが・・・」と言う言葉を残している事にも驚いてしまいますが、希林さんが内田裕也さんの事を語るたびに裕也さんの純な人柄が伝わってくるのが不思議ですよね。
いろんな難を受けながら熟成して、有難いと言う気持ちも芽生えたのでしょうか・・・。
この他にも
「籍を入れた以上、引き受けていくしかない。夫の中には今も純粋なもののひとかけらが見えるから」
「もし生まれ変わったら、内田とはもう逢いたくない。もし次逢ったら、また好きになってしまって、また大変な人生を送ってしまうから」
とも言っています。
私的に考えれば、内田裕也さんだけでなく希林さんも純な人だったと言えますし、結局、この二人は似ているのだと考えるとこの不思議な関係も理解できそうです。
樹木希林の名言⑤
あのね、歳をとるって言うのは本当に面白いもの。
歳を取るって言うのは絶対に面白い現象がいっぱいあるのよ。
だから、若いときには当たり前にできていたものが出来なくなる事。
1つずつを面白がってほしいのよ・・・
靴下でもシャツでも最後は掃除道具として最後まで使い切る。
人間も十分生きて自分を使い切ったと思える事が人間冥利に尽きると言う事だと思う。
自分の最後だけはきちんとシンプルに始末することが最終目標です。
晩年は私もこうでありたいと感じました。
今、ある年齢を過ぎた人たちの間では、「終活」と言う言葉が多く交わされています。
最期までゴチャゴチャしたままでは、迷惑をかけたままで終わる事になりますし、自分の最後はやはりきちんと整理しなければならないですよね。
そして自分の人生を精一杯生き切る事が大切だと言う事を教えていただいたようでもあります。
まとめ
樹木希林さんの人生75年間を振り返った時、希林さんはどの時代が一番好きだったのでしょうね?
女優として数々の賞を受賞したことでしょうか?
それとも内田裕也と言う人間と出会い結婚したことが最大の幸せだったのでしょうか・・・?
それよりも也哉子さんとの生活だったのでしょうか?
今では数々の優しさあふれる名言の中から推測するしかできませんが、やはり家族と言う物を大切にし、母として娘の幸せを願い続けたと言う事が多くの言葉の中から読み取れるとも言えます。
しかし、一番也哉子さんに残したかった言葉は「人と比べない」と言う言葉ではないでしょうか。
以上、樹木希林の名言が心に響く~「人と比べない」、他も紹介~の記事でした。
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