日本ではジミヘンの愛称で親しまれているジミ・ヘンドリックスさんを知っている世代は限られているかもしれません。
世代が関係ないとするなら、音楽もしくはギター関係で知ることでしょうか。
音楽やギターを通して彼のことを知った方々なら、彼の素晴らしさ、魅かれずにはいられない魅力はあえて語らなくてもよいでしょう。
けれど、名前は聞いたことがあるけれど詳しくはわからないという方、ぜひこれをきっかけに彼の格好良さを知っていただきたいと思います。
ジミ・ヘンドリックスさんとはどんな方だったのでしょう。
ジミ・ヘンドリックスとは?
ジミ・ヘンドリックスさんは1942年アメリカ合衆国ワシントン州生まれ、1970年27歳で亡くなりました。
とても若くして亡くなった方なのです。
もともとは陸軍所属でしたが除隊します。
除隊の理由は様々憶測がありますが、どうやらギター以外に興味を示さない劣等生だったためという説が濃厚のようです。
除隊後、彼はロックの世界に身を置くようになります。
右利きのギターをさかさまにして左手て弾いたり、背中で弾いたりするパフォーマンスはとても有名です。
バッグミュージシャンを得てイギリスに渡ったジミ・ヘンドリックスは、ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを結成します。
デビューシングルは全米4位という快挙を得ます。
しかし人気が出て忙しくなっていくと人間関係に亀裂が入るようになり、ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは解散、その後ジプシー・サンズ&レインボウズを結成して音楽活動を続けます。
ところがこのバンドの活動は上手くいかず、彼はバンド・オブ・ジプシーズを結成しますが、こちらもマネジメントがうまくいかずに解散してしまいます。
バンド・オブ・ジプシーズ解散後はドラッグからくる体調不良などがありトラブルが続きます。
1970年9月18日、女性とホテルに滞在中に急死、27歳という短い人生に終止符を打ちます。
ジミ・ヘンドリックスはメジャーデビュー4年というとても短い間に、多くのロックファン、ギターファンに強烈な影響を与えたのでした。
ジミ・ヘンドリックスの名言①
「最小限の人数で、最大限の音を」
「The sound which is the minimum number of people and is maximum」
音楽は大人数で奏でる醍醐味もあれば、少数で奏でることの良さもあります。
ギリギリの人数で最大の音が出せるのだとしたら、それはとても素晴らしい音なのだと想像できます。
さて、これは音楽に限ったことだけではないと思います。
仕事にしても、勉強にしても、長くやればいいというわけでもなく、人手があればいいというものでもありません。
ひとりひとりが役割を濃くこなせばなしえることができることだと思います。
ジミ・ヘンドリックスの名言②
「俺が十時間ギター練習して、ああ頑張ったなと思っても、どっかの誰かは十一時間練習してる。そういうもんさ」
「I practice a guitar for ten hours, and, yes, even if I think I exerted myself, it’s being practiced for eleven hours any who you are.Such one」
この言葉は成功者の誰もが言い方をかえてよく言われています。
世の中、自分が一番であると思ってしまったらダメなのです。
常に上には上がいる、世界は広いという気持ちでいることが励みと努力にも繋がるのではないでしょうか。
もちろん、自分の力量が最高と自信を持つのは大切ですが、それで驕ってしまってはダメなのです。
驕ってしまった時点で敗者であると思うくらいの謙虚さと直向きな心構えは、どんな立場であっても持ち続けなくてはならないことと思います。
ジミ・ヘンドリックスの名言③
「俺が死んだら、みんなにはとにかく俺の音楽をかけてもらって舞い上がってほしい。自分たちがやりたいことをやってくれればいいんだ」
「If I die, anyway I have everyone hang my music, and wants you to soar.You should do wanting to send oneself」
昨今の日本はエンディングノートというものが流行っており、ある一定の歳を迎えるとはじめる、もしくははじめようと思っている人も少なくないでしょう。
もし自分が死んでしまったら……そう仮定して葬儀などの要望を書くこともあるでしょう。
派手な葬儀がいい、身内だけで済ませてほしいなど。
筆者にも理想の葬儀がありますので、その時期がきたら書き残すと思いますが、そもそも葬儀は残された者の気持ちの整理のためにあるものという考えもあります。
だとしたら、死に逝く者があれこれと要望を出すよりは、思い思いのことをしてくれればいいよ……という彼の言葉の方が思いやりがあるように感じます。
ジミ・ヘンドリックスの名言④
「左手で握手してくれ。こっちの方がハートに近いから」
「Please shake hands on the left side.This is vanity near a heart」
この名言を見た時、カッコいいな、と思いました。
こんなセリフ、ジミヘンだから言えるのであって、ほかの人だったら言えないでしょう。
左手の握手は別れを意味すると筆者は覚えています。
また左手の握手を忌み嫌う国や地域もありますので、本来であれば無難に右手の握手をすると思います。
しかし、彼は敢えて左手、理由はハートに近いから。
本当にカッコいいですね!
ジミ・ヘンドリックスの名言⑤
「私は祖国を愛している。だが、祖国を愛せと言われたら、私は遠慮なく祖国から出ていく」
「I’m loving a motherland.But if you tell to love a motherland, I’m unreserved and go out from a motherland」
この名言はとても「わかる!」と頷いてしまった言葉です。
思いの差はあるとは思いますが、祖国愛みたいなものはあると思います。
日本でいえば戦争のない国だから好き……というのも有ですよね。
実際は傍から見るより裕福であったり恵まれていたりはしていませんが、ひとつひとつを世界の国々と比べるとよいところもありますし、住み続けているわけですからそれなりの愛国心はあるでしょう。個人差はあるという前提でですが。
しかし、もし政府かなにかが祖国を愛せといったらどうでしょう。
祖国愛の有無はなにかに強要されるものではありません。
感情まで支配しようとする国にい続けることができるでしょうか。
支配されることで容認できることもあればできないこともあります。
まとめ
ジミ・ヘンドリックスさんは多くの名言を遺されています。
ロックやギターに対しての熱い思いもあれば、世間の在り方への疑問もありました。
批判的な意見、過激な意見の多くは宗教に関してだったのですが、その辺は共感できないことの方が多かったです。
物事は悪い方が根強く記憶に残り、そして勝者が歴史を作る流れがあります。
神学を学んだ方が疑問を持ち反旗を翻する論理とは違ったものを感じました。
反面、ロックやギターに関しては本当に好きで好きで好きで……という感情がダイレクトに伝わってきます。
その落差があり過ぎるところに、ジミ・ヘンドリックスという人間性を垣間見れたような気がしました。